2006年12月22日

天邪鬼のネーミング、20周年を向かえた今、そして変化し続ける渡辺洋一



本日は株式会社共同クリエイティブの佐藤一水氏、田中なおみ氏とのインタビューを公開させていただきます。 インタビューは後日練馬区観光協会HPにて掲載されますのでお楽しみに。

1. 天邪鬼のネーミング
情報化の時代を向かえ、人ではなくパソコンの画面と向かう事が多くなる中で忘れつつあるモラルがあります。 それは人とのコミュニケーションの大切さだったり、先輩を慈しむ心、後輩を思いやる心だったりすると思います。 このモラルを太鼓で言えば先人が築き上げてきた伝統だと思います。

色んなジャンルの音楽を勉強する中で日本の普遍的良さに気づき、自分でも新たな伝統を築きたいと思いました。 その普遍的な良さを言葉で表したのが「Soul Beat」 − 日本語で言うと「魂の響」です。

まだ誰も踏み入れた事の無い所で「魂の響」を表現しようと立ち上げたのが天邪鬼です。 先人の伝統を尊重しつつ、新たな伝統を築き上げると言う「伝統と創造の狭間」が天邪鬼に取って永遠のテーマです。 よって、天邪鬼と言うネーミングは人の意に逆らうのではなく「皆と同じ方向に進むより、反対から行く事で道が開ける」と言う意味合いが強いのです。

2. 20周年を向かえて
独立したときは自分の両親が死ぬと言う事をまったく考えていませんでした。 でも、40を過ぎてから体が悪くなり始め、親戚が一人ずつ亡くなり、人間のはかなさについて身をもって考えさせられました。 それに加え、交通事故や舞台のセリから落ちると言う大きなアクシデントから生き延びると言う奇跡もありました。

そのような体験を重ねる中で「太鼓をやらされている」のではなく、「させてもらえている」と言う認識が生まれました。 その認識は両親や先祖から自分自身が成り立っていると言う事実と向き合い、感謝する事によって生まれたのではないでしょうか?

これは太鼓と言う道をやっている中で「分からされてしまった」事でした。 きっとそれが分からないと何をコンセプトにすればいいのか分からないのだと思います。

3. 自分自身の変化
最近よく「優しくなったね」と言われますが昔はもっと恐い顔をしていたと思います。 それは助からない病気に掛かっていた親の介護から抜けたと言う事が大きいと思います。

今回は介護している時の当事者にしか分からない気持ちの浮き沈みを「開運 〜祈り・願い〜」と言う曲に注ぎ込みました。 親の言葉や思いを詩に残し、自分の言葉で人間の生き様を表現しました。 

まだまだ通過点かもしれませんが20年立ち、天邪鬼と言う団体が人間で言うと成人式を向かえたわけです。 団体として天邪鬼らしさや付加価値が固まり、20年やってこれた事も大きな自信となりました。

posted by 太鼓集団 天邪鬼 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ポッドキャスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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